watamasa diary

サーフィンと出会いとバイクのことを中心に書いてます。

大手自動車工場の期間工と携帯製造工場で働いて

上京して期間工で働くきっかけ

大手自動車工場の期間工と携帯製造工場で働いて watamasa diary

地方のキャバクラで服を辞めた後、お金が無くなりほとんど引きこもり状態でだらだらとした生活を送っていました。

実家に住んでいたため、お金がかからずに生活をすることが出来たため自堕落な生活をしていました。

家から一歩も外に出ない日が頻繁に続くような生活をしていました。

極端に人と接する機会が少なくなるとだんだん外に出て人に会うのが怖くなってくるのです、僕は10日と短い期間でしたが、これがもっと長くなるって考えたらゾッとします。

出るきっかけをくれたのは幼馴染の男友達でした。

困ったことがあれば助けてくれるようなそんな子で、中学生の頃に母親と喧嘩して家出をした時もその子は心配してくれて、帰るように説得してくれました。

それで家出を辞めたという事がありました。

家に引きこもっている状態のwatamasaに声をかけてくれたのはその子でした。

最初は嫌々ながらも出かけたのですが、それをきっかけに外に出ることが出来ました。

自堕落な生活をしていて、今の生活に飽き飽きしていた時にふと思ったのです。

「東京へ行こう!!」

そんなところから今回の工場で働くまでにいたりました。

昔から東京へ行くことの憧れがあり、このまま地元で仕事を探していてもなにも変わらないし、新しく知り合った人も必ず知り合いの知り合いという狭い世界でした。

このまま腐ってしまうなら一度東京へ出てだめなら地元に帰れば良いやという軽い気持ちでした。

東京へ行こうと決めた僕が初めにした行動は【東京へ行ける仕事を探すこと】でした。

引っ越し資金もあるわけじゃないし、家が裕福でもないという理由で、寮がある働けるところという条件で、母親が取っていた新聞の折り込み広告の中の求人紙から探すことにしたのです。

(当時はタウンワークといった求人情報誌がないころです。)

そうするといくつか条件に合いそうなところがありました。

派遣会社の工場勤務で寮付き・東京の○○市と書いてありました。

地元の正社員で工場勤務の場合総支給18万円でしたが、その求人誌には23万円と書いてありました。

さらに週休二日制で土日祝がお休みで前回勤めていた黒服よりも好条件だったので言うことはありませんでした。 そのままその日に応募しました。

 

大手自動車メーカーの期間工の勤務条件

・月給23万円

・寮付き(3DKを三人で暮らす寮費は2万円)

・土日祝休み

・食堂があり夜はそこで食事をしてもok(一食500円くらい)

・さらに半年から一年満期を迎えるとボーナス(給料の2、3か月分支給)

 

大手自動車メーカーの期間工の仕事内容

条件もお給料も文句なしの職場で、面接後に採用をもらい一週間後に新幹線で東京へと向かいました。

到着後はそのまま寮へと向かい、僕よりも先に暮らしていた先輩方に挨拶して、その日は寝ました。

2日ほどお休みをした後に仕事開始です。

初日は僕と同じように地方から来た派遣できた方たちと軽く挨拶を交わしてそのまま仕事を開始しました。

(watamasaの勤めたところは派遣会社から出向した期間工という立場です。)

配属されたところで、先輩に仕事を教わり、その日は何事もなく終わりました。

watamasaの仕事内容は車の室内を組み立て終わっている車の内装を見て、不具合や細かな傷を直す仕事でした。

朝は9時から夕方6時までの勤務でした。

学校の様に昼前休憩・お昼休憩・夕方休憩の三回の休憩がありました。

休憩ごとにチャイムがなり、始業・休憩・終業を知らせる鐘が鳴っていました。

最初のうちは一生懸命できたのですが、3か月ほど経ったころにまたあの悪い癖が出てきました。

"仕事面倒くせー"

休憩のチャイムが鳴るとうれしいのですが、ふとした時に思ったのです。

"ロボットみたいだな"

この仕事って僕がやらなくても大丈夫じゃないかな??

と考え出した事が原因で、数日後に職場からふわっと消え去りました。

さすがに無断で辞めてしまったのがまずかったらしく、決められた期間勤務しない場合は交通費・寮費の一部?等々で10万円弱の請求が来たのは、二度と忘れません。

期間が決まっている仕事はきちんと満了するか正式な手続きを取って辞めないといけませんよね。

仕事自体は楽な部署だったのですが、チャイムが頭から離れなくなり、辞めた直後は少し病みました。笑

 

大手携帯メーカー製造工場(夜勤)

大手携帯メーカー製造工場(夜勤)

自動車製造メーカーを辞めた後に寮だったため住むところを追い出されることになり住むところがなくなりました。

(ここが寮生活の怖いところですよね。)

どうしようか悩みました。

そこで昔コンビニのバイト先を紹介してくれた先輩が東京に住んでるというのを思い出して、その先輩に連絡しました。

watamasa「実は、仕事辞めて住むところがなくなってしまって・・・。」

先輩「しばらくうちに来るかい?」

という事で、先輩の家に転がることになりました。

watamassaは本当に周りの人に恵まれているなとこの時気づきました。笑

さすがに先輩の家で居候してて働かないのはまずいと思い、給料の良い夜勤で仕事を探したのですが、 工場の夜勤の情報しか見つけられずに今回の大手携帯メーカーの製造工場で働くことになりました。

 

大手携帯メーカー製造工場(夜勤)の勤務条件

・時給1200円

・休みは土日のみ

・勤務時間20:00‐5:00

 

大手携帯メーカー製造工場(夜勤)の仕事内容

勤め始めたころはまだスマホなどなくガラケーしかありませんでした。

watamasaのしていた仕事はそのガラケーの液晶をひたすらはめ込む作業でした。

食堂や売店などはないため、コンビニで食事を買って、それを休憩中に食べていました。

休憩時間は朝方1:00‐1:45までが休憩時間で、その時間にご飯を済ませて残りの仕事をこなすという流れでした。

とにかく眠さと同じ作業の辛さとストレスで3か月と持ちませんでした。

夜食は大体カップラーメンばかりを食べていました。

ストレスと食事で体がやられたみたいで、ある日の休憩中に食欲がなくて、工場の庭でたばこを吸っていたのですが、急に体がかゆくなってきたのです。

時期的には冬場なので、蚊に刺されってことではありませんでした。

最初は腕がかゆくて、次第に体へと広がっていきました。

「これやばいやつだ。」

となりその日は帰らせてもらいました。

家に帰るとかゆみは収まり、翌日仕事に行く準備をしているとまたぶり返してきてしまい、仕事どころではありませんでした。

次の日に事情を説明するために電話して、仕事を辞めさせてもらいました。

この時に工場で働くのは無理だなとあきらめました。

次は先輩の家を出てまた親と暮らすのですが、そのお話はそのうちします。

次の勤務先はレンタカー屋でのアルバイトのお話です。